1956年(昭和31年)7月29日に生まれた私。
出産予定日は8月末だったのに、母の仕事が忙しくなるから7月末の日曜日に産んでしまおうとしたらしい。難産で一日苦しみぬいたのは、私がまだお腹の中にいたかったからなのかも知れません。
そんな無茶苦茶な出産だったし、産まれたときは3人目の女の子ということで、誰も祝福してくれなかったと後で聞きました。
3歳上の姉は母がいないと泣く子だったので、乳飲み子の私はご近所の子供嫌いな女性に預けられることになったそうです。その家には5人の成人した兄妹がいて、彼らが遊んでくれるのがとても楽しくて、母が迎えに来ても帰りたくなかった。
小さな卓袱台で彼らと一緒に食べる食事は美味しかった。たくあんと冷めたごはんでしたがみんながワイワイガヤガヤとお喋りしていて、後で思えば食事はこうでなくちゃいけないと思ったものです。
家に帰ると温かいご飯とおかずがあったのですが、食事中は喋ってはいけないし、5分で食べ終わるよう命令(?)されてていたのでちっとも楽しくない。何故か姉たちや父も何も言わないので「この家はこういう家なんだなぁ」と子供心に思っていました。
私の性格が賑やか好きで、面白いことを考えるのが大好きなのは、この自分らしくない空気感が嫌で、いつの間にか頭で違う世界を空想・妄想する癖がついたからかも知れません。
空想・妄想・・・そう、考えてみればずっと空想癖があったかも。
外で遊ぶのはケガするし、誘拐されるかも知れないので禁止されていたので、家の中で長い時間を費やすのは大変です。そこで没頭したのが、絵をかいたり、人形遊びしながら空想の世界に入り込んでいました。人形は何体ももっていて親友でした。朝起きた、彼らの役割を決めて何時間も空想の世界で彼らとお話ししていました、つまり独りでしゃべり続けていたわけです。
父にお願いすると人形の洋服や靴、バッグなどを沢山買ってくれましたが、毎日のおままごとにはそれでは足りません。そこで、家にあった布やフエルトを使って自分で作り始めました。市販の洋服と自作では当然完成度は違うので、色んな工夫をかさねるように。誰に教えてもらう訳でもなく、針目を綺麗にするとか、糸の色や素材を組み合わせることを考えないと、自分の思ったものが出来上がらないというのは、このころから少しずつ解ってきたように思います。
デザイナーみさおの誕生秘話(笑)でした。
また続きは後日。
なんだかんだ言っても、写真を見ればわかる。今も昔もみさおはみさお、です(パートナー言)
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