短大卒業後に入った「松坂屋ドレスメーカー女学院」は、本科・師範科・研究科 各科1年の3年制洋裁学校でした。
先のブログにも書いた通り、結婚までの腰掛的な人が多く縁談があると大抵辞めていきました。当時の私はというと「デザイナーになる!」と強く心に決めて入学したので、客観的に見ても「やる気」のギャップは大きかったかも知れません。
一方、洋裁の技術については同級生よりはるかに劣っていることを自覚した私は、1年目は大人しく真面目に先生の教えを乞うと決心しました。そもそも「素直に大人しく言うことをきく」のが最も苦手で自分の気持ちを優先しがちな私にはとても珍しい決心だったと思います。
1年間、色々な出来事がありましたが「無事」乗り越えて1年の締めくくりなり、恒例の学校行事である「ファッション・ショー」と「卒業制作」まで辿り着きました。
今回のブログでは「ファッション・ショー」について少し書いておきます。
1年目の課題はいずれもワンピースが規定でした。ただし、クラス全員がショーに出演できるわけではなく、先ずスタイル画を元に職員会議での審査をぱすした2/3の生徒だけがライトを浴びることが出来ます。当時ファッション界でトップだったサンローランがロシアの民族衣装にインスパイアされてデザインしたシリーズがとても気に入っていた私は、黒のベルベットのティアードワンピースで、胸と腰の部分にギャザーを入れ、ギャザー部分にベルベットの刺繍リボンを付けたデザイン画を提出し見事(?)審査をパスすることが出来ました。
制作する段階では、当時の私の技術では毛足の長いベルベットはとても難しかったこと、ギャザー部につけたリボンをミシンで縫う際も真っすぐに縫い進めるのがとても大変で勉強になったと記憶しています。
ともあれ、何とか仕上げたワンピースを着てファッションショーの舞台に立つことになったのですが、作品が舞台映えすることから出演順では「トリ」を務めることになりました。ショーは学校近くの500人を収容できる会館で行われ、約200名の生徒が出演します。恐らく目立ちたがりの私はかなり燥いでいたのだと思います。出演前に院長先生から「奇を衒わないこと!」という強い指示のメッセージカードが渡されました。という訳で、ショーでは大人しくステージを歩き無事終了となりました。
写真はショーの写真などが手元に残っていないため、当時を思い出してデザイン画を描き起こしてみました。
#みさお倶楽部 #みさおの履歴書 #松坂屋ドレスメーカー女学院 #本科 #misaoclub #gallerywoops