高校時代に母親から許しを得た洋裁学校への入学、短大時代を経てようやく実現。
みさお20歳の春でした(笑)
在校生200名、ドレメ式の学校でした。ここでもみさおは「やらかして」しまいます。
学校初日、早速課題(宿題)を与えられました。
「布に15cmくらいの円をミシンで縫ってくること」
「なんだ、10分もかからない簡単な宿題だ」
と高を括ったまま仕上げ翌日学校に持って行ったのですが、クラス全員から冷笑を浴びることになりました。他の生徒の出来上がりと比べると理由は一目でわかりました。ミシンで勢い良く縫った私の円はギザギザだったのです。以前から人の話を注意深く聴かず、「取り敢えずやってみる」スタイルでやった当然の結果に反省しきりのスタートでした。
その後、徐々に同級生と仲良くなって判ったのは「既に縫うことはできる」人が大半だったのです。
私の技術はというと、中学時代の哀しいトートバッグ作成の時から止まっていたのですからその差は歴然。「縫う」という「技術」だけでなく「制作工程」を知っている人もいることが判りました。
悔しい(哀しい)思いでスタートした洋裁学校生活も進み、ついに最初の制作課題がやってきました。
課題は「スモック刺繍の入った腰から下だけのエプロン」でした。
先生に「胸当ての付いたエプロン」にしたいとお願いしたら「規定を守りなさい」と一言。
ここでも本来のみさお全開。「作りたくないものは作らない」主義を通し、紺地に白の水玉模様のコットン生地に「スモック刺繍の入った胸当て付きエプロン」を作って提出したのです。
「スモック刺繍してあるエプロン」ではあるので一応受け取ってもらえましたが、きっと職員室では「言うことを訊かない生徒」として話題になったのだと思います。
その後、提出したエプロンが院長先生の目に止まり「規定を守っていないがデザインがステキ!」の注釈入りで張り出されていました。とても嬉しかったことを憶えています。初日の宿題で「クラス一おバカな子」だった私を、クラスのみんなが少しだけ見直してくれた瞬間でした。
最初は質問すると無視されたり「自分で考えたら」と冷ややかだったクラスメートが、私の作る作品を褒めてくれたり、時には真似したりするようになってきたのが、心地よく面白かったと記憶しています。